文/日暮里ハムスターズ
1.体は食卓 頭は雲の上/友部正人
2003年発売の3rdアルバム「ママレードパイのかわいい食事」収録。自主制作カセットテープ「スモールスタークラウド」に収録された弾き語りバージョンが初出。3rdアルバムに至り、作風はそれまでの私小説的な秩序からめくるめく逸脱し、鮮やかな単語の乱射が万華鏡のようにひしめきあう独特の言語世界に突入した。
アルバム「ママレードパイのかわいい食事」ではバンド「ははの気まぐれ」がいわゆる「ザ・バンド」を担当したが、当時のソロステージではヤマハ製12弦アコースティックギターの倍音も賑やかに、アシッドフォーク然として弾き語られることが多かった。
『現代詩手帖(思潮社)』で友部正人氏が連載していた「ジュークボックスに住む詩人」の2004年1月号では、見開き2ページに渡りこの頃の双葉双一の詩が取り上げられている。
2.お嬢さんよろこんで/原マスミ
2001年発売の1st「双葉双一に気をつけて」収録。自主制作カセットテープ「春と乙女」が初出。初期双葉双一の代表作でコンサートの最後に披露されることも多かった。1stアルバムと2ndアルバムの音源は、若き双葉双一が上洛したばかりの下宿で宅録されたものがそのまま使われている。双葉双一の天才をまず知らしめるには、簡素なパナソニック製のテープレコーダーひとつで充分であった由。アルバム発売に際し、東京のピースミュージックでデモ曲たちは新録されたが、スタジオ主催中村宗一郎氏の英断により、宅録されたデモテープをマスタリングした音源が両アルバムに採用されることになった。
双葉双一とも縁が深かった拾得の歌姫野村麻紀氏は「京都のボブ・ディラン」と呼ばれた双葉双一に双し、ジョーン・バエズ役を自ら任じこの曲をデュエットする機会がよくあった。
双葉双一は演奏中に歌詞の書かれた紙などを一切見ることがないが、同じくカンニングをしない原マスミ氏から「あれら膨大な曲の歌詞がすっかり頭の中に入っているのはエラい!」と褒められたことがある。
3.アンダースロウ/沢田ナオヤ
2004年発売の4thアルバム「涙の小鳥」収録。自主制作カセットテープ「ドラムレディ」に収録された弾き語りバージョンが初出。夏の川遊びの定番をモチーフにロマンスを語りながら、どこまでも涼しげな一曲。
前述の通り、3rdアルバムでは「ははの気まぐれ」がザ・バンド役を担ったが、4thアルバムではDr.kyOn氏(元ボ・ガンボス)が初めてギター、キーボード、アコーディオンでサポートを担当した。双葉双一の全公式アルバムの発売元レーベルOooit Recordsの瀬戸氏は元々ボ・ガンボスのマネージャーを務め、爾後も引き続きDr.kyOn氏のマネージャーである。
なお「涙の小鳥」の録音のため上京していた双葉双一は、録音の空き日をつかって三鷹台に物件を見つけ、アルバム発売後本格的に上京を果たすことになる。その後同じように上京した沢田ナオヤ氏とは、下北沢や西荻窪などで「オレとナオヤのロングトーン」と銘打ったイベントを幾度か開催している。
4.走るのってすてき/知久寿焼
4thアルバム「涙の小鳥」収録。アルバムの冒頭を飾る。3rdアルバムに引き続き、言葉は軽やかにシンプルでイメージに富み、寂しさも涙もスキップの足取りで綴られていく。
デビュー当初から双葉双一は周りから押し付けられる「フォーク」なる言葉から匂い立つ貧乏臭さを嫌い、フリルシャツやきっちり折り畳まれたハンカチ、更には高雅な横顔と流し目で武装していた。
雑誌『装苑(文化出版局)』2005年1月号では、市川実日子氏の連載「実日ここかしこ」中で、最近の気になる歌手として取り上げられたこともある。
知久寿焼氏とは5年振りのアルバムとなる5thアルバム「手に捧げる歌」のレコ発ライブ「偉大なる復活」で初めて共演し、その後も陰気な二人旅を標榜し「ふたばちっく」の看板で東名阪ツアーを回った。
双葉双一は知久寿焼氏のライブで早川義夫の「サルビアの花」をリクエストしたことがある。
5.旅に出なさい/ふちがみとふなと
2012年発売の6thアルバム「現代の神話 Ⅰ-modern mystics Ⅰ-」収録。この頃、双葉双一は北千住外れの古民家をアトリエにしており、住居の2階をスタジオに作り変え、当時のメインギターであるマーティン00-21とDr.kyOn氏から借り受けたギブソンJ-200を傍に、旺盛な創作をした。
アルバム「現代の神話 -modern mystics Ⅰ-」では、このアトリエでうまれた曲に加え、これまで未発表だった曲もまとめてレコーディングされており、カタログ中最も曲数の多いアルバムは、かつバラエティに富んだ一枚となっている。
前年の東日本大震災を巡る様々は、双葉双一に自らの出自と向かい合わせることもあったのか、言葉はより平熱を保ちながら物語性を帯び、より散文的に切実さを増していく。
双葉双一が京都で活動を始めた頃からふちがみとふなとは京都を代表するデュオであったし、もちろんその後に共演することになる。
6.家の中で花火/ジョンソンtsu
2009年発売の5thアルバム「手に捧げる歌」収録。曲の最後に「1番でも言ったけど」とメタに言及される珍しい逸品。
双葉双一は5thアルバムの録音作業と並行して、2008年頃から数回に渡り京都拾得で「フタバー再教育」というイベントを開催した。なるほど本イベントのゲストは、その晩に限り双葉双一の曲をしか演奏することを許されなかった。
これまで2枚の双葉双一カバーミニアルバムを発表したこともあるジョンソンtsu氏は、「フタバー再教育」にもゲスト参加したことがあり、本トリビュートアルバムの主謀の一人。
また全編弾き語りで綴られるアルバム「手に捧げる歌」の最後を飾る「イン・ザ・ナイト・マイ・フェスティバル」でも、tsu氏はただ一人の客演ミュージシャンとしてクレジットされている。
自身のライブのため上京していたtsu氏は、中目黒のスタジオへ「イン・ザ・ナイト・マイ・フェスティバル」の録音真っ最中だった双葉双一を訪ねると、急遽サイドギターで客演することとなる。幾度もつまづいていた同曲の録音は、tsu氏の参加により結果ワンテイクで終了した。
YouTubeでは、2009年10月1日に高円寺U.F.O.Clubで開催された「手に捧げる歌」のレコ発記念ライブでの「イン・ザ・ナイト・マイ・フェスティバル」を、歌詞字幕付きで視聴できる。
7.カメレオンの舌/ドウオカタケシと縄文時代
アルバム未収録曲。双葉双一が因島瑠璃乙として参加する覆面ユニット「共犯幻想」の自主制作カセットテープ「共犯幻想デモvol.1」に収録されている。極初期作品に顕著なディストピア的なイメージを双葉双一一流のユーモアで彩色した珍品。
また5thアルバム「手に捧げる歌」にはエンハンスドビデオとして本曲の「すんzりヴぇrREMIX」の動画が収録されている。すんzりヴぇr氏は極初期から双葉双一の理解者であり、他ならぬ発見者でもあった。大胆に端折るが、つまり氏をきっかけに双葉双一はデビューのきっかけを掴む。
ドウオカタケシ氏は双葉双一のデビュー前からの友人で、その頃主催する「ヤングブギーズ」でも共演することしばしばであった。ドウオカタケシ氏は当時から「双葉双一」を「ヌヌ葉ヌヌ一」とカタカナ混ぜで呼称としたが、2023年現在の双葉双一のLINEアカウント表記も「ヌヌ葉ヌヌ一」となっている。
8.冬奏曲/柿泥棒(タテタカコ&The End)
2012年発売の6thアルバム「現代の神話 Ⅰ -modern mystics Ⅰ-」収録。この頃の双葉双一は自らの方法を確立し、鼻歌を歌うように作曲していた。初期のキュートなラブソングは、ここにきて様式もスケールも大胆なものに育っていく。
当初は映像作家小林亮太監督作品の主題歌として制作された一曲。その縁で、雪深い長野の廃校を舞台にしたMVが同監督により撮影された。ビーンブーツを履き、マッチの火でしきりに煙草を吸う双葉双一の姿を現在もYouTubeで視聴することができる。
The End氏との縁はかなり古く、双葉双一を名乗る以前にまで遡る。双葉双一以前は、野村麻紀氏と一緒にThe End氏の拠点である長野へツアーを敢行したこともある。タテタカコ氏とも長野ネオンホールなどで共演し、交流を深めている。
9.わたしの人魚姫Ⅰ/三輪二郎
1stアルバム「双葉双一に気をつけて」収録。自主制作カセットテープ「わたしの人魚姫」が初出。初期の「あの子/お嬢さん」期を誇るパンチラインの畳み掛けは随一。この時期のライブ会場には、とりわけ女性ファンが多く詰めかけ、双葉双一は自らのファンをアムラーよろしく「フタバー」と呼んだ。
この頃双葉双一はヤマハFG-180を相棒にしていたが、京都一乗寺近辺を散策中に古道具屋で贖ったSUZUKI製の小ぶりなギターも愛用していた。2006年赤坂グラフィティで演奏された「わたしの人魚姫Ⅰ」はSUZUKIのギターで弾き語られており、現在もYouTubeで視聴することができる。
続編というよりは姉妹曲とも言うべき「わたしの人魚姫Ⅱ」は2ndアルバム「春と乙女」に収録されている。2001年の京都拾得で「ははの気まぐれ」と共演した「わたしの人魚姫Ⅱ」を、双葉双一のSoundCloudで聴くことができる。
後述の「日本フォークミュージック協会」主催のイベントで三輪二郎氏と共演した際、双葉双一は彼が披露する加川良氏のモノマネで爆笑させられたことがある。
10.夜の底/夕凪
2002年発売の2ndアルバム「春と乙女」収録。カセットテープ「春と乙女」が初出。サナトリウム文学的な厭世と表裏一体のロマンスを得意とした時期の代表作で、2003年大阪ハードレインで「ははの気まぐれ」と演奏したバンドバージョンを双葉双一のSoundCloudで聴くことができる。
この頃の双葉双一は、『スタジオボイス』誌で取り上げられたり、おすぎとピーコ両氏の深夜番組『Buck-Up!』で歌う姿がテレビ放映されたりと、メディア露出も少なくなかった。大阪のラジオにゲスト出演した双葉双一は、パーソナリティから「では最後にラジオをお聞きのみなさんに一言お願いします」と振られ、「小さくまとまんなよ!」と吐き捨て番組を締めている。
夕凪の伊藤せい子氏は大阪ムジカジャポニカ主催であり、本トリビュートアルバムは新設された「ムジカジャポニカ・レコード」から発売される記念すべきカタログ第一弾である。双葉双一は大阪のホームグラウンドとして、ムジカジャポニカで定期的にライブを行なっている。
11.レベル5/石指拓朗
6thアルバム「現代の神話 Ⅰ -modern mystics Ⅰ-」収録。前述の通りバラエティ豊かなアルバム中でも、人気の高い曲のひとつ。強い視線に裏打ちされた日常的な言葉は、表面張力ギリギリまで満載されたユーモアを味方に堂々たるポップソングの肉体を誇っている。
2014年八丁堀七針で披露された弾き語りの演奏を現在もYouTubeで視聴することができるが、この曲は黒のジャンプスーツに黒の箱エレキを手にした因島瑠璃乙による第二期「共犯幻想」のライブレパートリーでもあった。2010年の年末、都内に何度か出没したこの頃の因島瑠璃乙は、頭のてっぺんからつま先まで艶ありブラックでコーディネートされたグラム版「黒衣の男」そのものであった。
双葉双一と石指拓朗氏は「日本フォークミュージック協会」を共催し、さまざまな会場でゲストを迎え、フォークミュージックの啓蒙に務めている。
12.タワーホテル/mmm
1stアルバム「双葉双一に気をつけて」収録。自主制作カセットテープ「タワーホテル」が初出。上京するまでの京都期を代表する一曲。
数年に一度の頻度で披露される演目「タワーホテル組曲」の主幹をなす曲でもある。2014年の晦日には代官山で飴屋法水氏、淺井裕介氏とともに「-新訂版-タワーホテル組曲」を発表した。
しかしこの曲が書かれた頃のタワーホテルは、改装工事中のため大きなシートで覆われ、どこからも外貌が一切見られない状態であった。つまり双葉双一が参照したタワーホテルは云々。
かつて双葉双一はSNSでバンドメンバーを募集したことがあるが、実際に応募があったのはベース希望のmmmただ一人だったので、恐縮した双葉双一は現在までそのバンドを保留中としている。
13.ミルク・ミー/ほはの気まぐれ
アルバム未収録曲。一曲を通して、双葉双一のカタログの中でも最も軽やかでナンセンスな言葉が飛び交う。
ライブでの定番曲で、かつては「ピクニック」のタイトルで親しまれていたが、ある頃から「『うんこ』と発声するのが嫌になった」という理由で歌われなくなった。
本曲にも朗らかな双葉双一の軽薄を装った言語遊戯の真骨頂として、近作では「ローラースケート日和」や「LIFE」がある。両曲にはムジカジャポニカで2021年に撮影された歌詞字幕付きの映像があり、現在もYouTubeで視聴できる。なおどちらの曲もジョンソンtsuバンドの面々とThe End氏による特別編成隊で演奏されている。
前述の通り「ははの気まぐれ」とは双葉双一のデビュー前からの仲で、3rdアルバムではいわゆるザ・バンドを務めた。共演のきっかけは、双葉双一の自主制作デモテープに感銘を受けた「ははの気まぐれ」が、デモテープにバンドの演奏を被せた音源を双葉双一へ届けたことに端を発す。
14.リバイバル/艸世木隠(null&日比谷カタン)
アルバム未収録曲。本曲は、共犯幻想の自主制作カセットテープ「共犯幻想デモvol.1」に収録された「樹齢」という極初期の曲を幹に改作された。
ライブでは近年の双葉双一に相応しいシリアスなギターと浮かれたところのない言葉で、聞き手を詰問するように歌われてきた。
アルバム未収録ではあるが、SoundCloudでは大阪ムジカジャポニカでのライブ音源(2015年)、YouTubeでは神戸チキンジョージでのライブ映像(2019年)を視聴することができる。
日比谷カタン氏とは、双葉双一が上京直後の2004年に初めて渋谷青い部屋で顔合わせをする。その後も各所で共演すること度々であったが、2010年西荻窪サンジャックで企画された双葉双一とのツーマンライブに急遽出られなくなったカタン氏は、代打にnull氏を指名し、果たして双葉双一とnull氏初めての共演が実現した。
15.瞬き分の夜/吉田省念
5thアルバム「手に捧げる歌」収録。双葉双一の口語的迷宮世界が垂直に展開される初期からの代表曲だったが、レコーディングでは満足のいくテイクが得られずなかなか収録されることがなかった。しかしアルバム内容の充実のため、不満を残したまま「手に捧げる歌」に収録された。本曲は前述の「タワーホテル組曲」にも含まれる。
2004年渋谷青い部屋で開催された「双葉双一独演会」で演奏される本曲をYouTubeで視聴することができる。また双葉双一はこの頃を最後に、柔らかなフリルシャツや真白いブラウスなどをほしいままにしていた王子様像を徐々に脱ぎ捨てていく。
京都拾得で定期開催されている吉田省念氏主催イベント「黄金の館」で2018年5月に共演をした折、吉田省念バンドとのセッションで「瞬き分の夜」は披露されており、この時すでに吉田省念氏による当該解釈の萌芽が試されていた。
16.お嬢さん気をつけて/奇妙礼太郎
1stアルバム「双葉双一に気をつけて」収録。自主制作カセットテープ「春と乙女」が初出。最初期からフォークマナーに則り歌われ、今も物憂げな春の記憶を揺らし続ける。
2001年の京都拾得で開催された1stアルバムのレコ発ライブで「ははの気まぐれ」と共演した音源を、双葉双一のSoundCloudで聴くことができる。
また映像作家HADA監督によるドキュメンタリー作品「UNPRIDE」の最後でも、川辺で本曲を弾き語る様子が撮影されており、現在もYouTubeで視聴することができる。
デビューした頃の双葉双一は、その端正な筆致で手書きされたフライヤーをライブ会場で配っていた。チラシの右下には決まってギョーム・アポリネール軍人時代の写真が四角く切り抜かれ、その口元に書き足された吹き出しへ「オフィス・ワンレン」の連絡先などが案内されていた。
奇妙礼太郎氏とは神戸チキンジョージで開催されたフェスティバル「ああ素晴らしき音楽祭vol.8」や、大阪シャングリラでの青葉市子氏を加えたスリーマンライブなどで共演をした。
17.二段階右折エレジー/割礼
2012年発売の7thアルバム「R離棟からの手紙」収録。カセットテープ「わたしの人魚姫」が初出。共犯幻想の自主制作カセットテープ「共犯幻想デモ vol.2 LIVE」にも収録されており、京大地塩祭での地下演奏会(2001年)の模様が収められている。しかし7thアルバムに収録されたものと比較すると、歌詞内容はほぼ同じだがメロディを異にしており、オリジナルは最初期の厭世的な雰囲気が濃く漂うものだった。
双葉双一は京都に渡り着いたばかりの頃、気候の厳しい盆地に業務用カブを走らせ早朝の新聞配達をした経験がある。その実体験からも「二段階右折」と「エレジー」は美しく順当に結びつけられた。
割礼とは何度か共演しており、割礼のベースを担当する鎌田氏が主催する阿佐ヶ谷ハーネスでも双葉双一は定期的にワンマンライブを開催している。